
自分には能力がないから分からない…
自分には学歴がないからできるわけがない…
もう年だから無理…
あなたは、こんな風に呟き、あきらめていませんか?
周りにいる実力者や、成功者をうらやましいと感じながら、自分とは全く違う世界の人間だと思っていませんか?
しかし、それはもったいない考え方です。
何故なら、彼らはあなたと、ホンノ少し違うだけだから。
- 中卒でお金持ち
- いじめられっ子が本を出版し人間関係克服
- ダメダメ営業マンがIT界で成功者に
- 夫にDVを受けていた専業主婦がサロンを成功させ離婚
私の近くにだけでも、このような成功者は、まだまだたくさんいます。
あなたも、よく考えてみてください。
きっと周りに、そんな成功を収めることができた方々が何人かいらっしゃるはず。
そう、
もしあなたが、学歴がなくても、若くても年を取っていても、お金がなくても、男でも女でも、
それらには一切関係なく、自分が望むものを手にすることができる。
彼らが特別な訳ではありません。彼らは私たちと同じ人間です。
彼らは、ただ誰にでも可能であることを証明してくれているだけなんです。
なぜ彼らは成功できたのか?
物理的になぜ成功できたのかを語れば、各事例ごとに多くの真実があるかと思います。
- 投資した
- 人に助けてもらった
- 素晴らしい先生に習った
- 起業したら上手くいった
しかし彼らには、一貫して共通した点があるんです。
それは
行動を起こせたこと。
- 投資した
- 助けてくれる人にアクセスした
- 素晴らしい先生に習いに行った
- 起業した
彼らは頭で考えるだけでなく、実際に行動ができたのです。
しかし、あなたは言うかもしれませんね。

だから、その行動ができないんだよ。
何をやったらいいかが分からないんだ…
そうですよね、わかってれば行動しますよね!
分からないから困ってる。
でも、よく考えてみてください。
成功を収めた人たちは、最初から「分かっていた」と思いますか?
最初から、この窮地を脱するために
- ここに投資すれば絶対成功できる
- ○○さんに会えば絶対成功できる
- ○○先生に習えば絶対成功できる
- 起業すれば絶対成功できる
そう思って行動したのでしょうか?
答えは、NO!
あなただってそう感じているはず。
神様じゃないわけだし、未来は明確に見えるものではない。
だれだって、みんな同じく「分からない」のです。
彼らはなぜ、行動できたのか
同じく「分からない」のに、置かれた環境も、能力も同じなのに、
逆にもっと言えば、私たちよりもっと過酷な状況にいる人たちだっているのに、
なぜ彼らだけが行動することができるのでしょう。
理由は、彼らがある力を手にしたから。
それは、受け取る力です。
受け取る、と言っても、プレゼントをやお金を受け取る話ではありません。
彼らは、「気付き」を受け取っているんです。
- 自分には可能だと確信する気付き
- 自分は何も知らないんだと理解する気付き
- 与えることで自分に返ってくるんだという気付き
- 自分が依存していたことへの気付き…などなど

ひとは、何かをなすために、気づきが必要です。
何も気付かないということは、何も変わらないということ。
分からない、出来ないとあきらめていることは、「気付きたくない」と変わらないことを選択していることなんです。
人生を成功させるためには「気づく」ことが大切
じゃどうやったら気付けるの?
それには知っておくべきことがあります。
因果応報です。
因果応報
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ。▽もと仏教語。行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では悪いほうに用いられることが多い。「因」は因縁の意で、原因のこと。「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと。
すべてのことには、原因と結果があります。
私たちに起こる全てのことには、原因がある。
- 動物を可愛がる→動物に好かれる
- 人に意地悪をする→人に嫌われる
- 庭に種をまく→芽が出て花が咲く
- 種をまいたが水をやらない→芽が出ない
良いことも悪いことも、全てに、原因がある。
それは、世界で起こる戦争も、理不尽に思える事件にも、私たちが玄関先で石につまずくことですら、
全てに、原因があるのです。
「全て」ですから、それは私たちの生活に無数に存在する真実です。
もし、それら全ての事象の原因を知ることが出来たら、
起こってほしくないことは起こさないように
起こってほしいことを起こせるように
「行動する」ことができますよね。
成功を収める人たちは、行動するために、必死でその真実を受け取ろうとしています。
- なぜ、自分は苦しいのか
- 豊かであるとは何なのか
- 目の前で起こることの原因は何か
- 自分の内側で起こっていることの原因は何か
そうです。「気づき」とは「受け取る」こと
じゃ、受け取るにはどうしたらいい?
あなたは、感謝したことがありますか?
- ご飯を作ってくれてありがとう
- プレゼントをくれてありがとう
- 勉強を教えてくれてありがとう
すべて、何かを受け取っています。
上記の例では
- ご飯を
- プレゼントを
- 知識を
受け取っています。
「受け取って」→「感謝して」いる。
誰でも、受け取ったら「ありがとう」を伝えます。
ですから、受け取るためには、感謝するようにしたらいいのです。
全てのことに、感謝したらいいのです。
理不尽なことをいう人だって、あなたに、なにが原因なのかを考えさせてくれるために、そんな風に理不尽なことを言ってる。→ありがとう
子供が仕事の邪魔をしてうっとおしくても、それが起こる原因をあなたに教えてくれてる→ありがとう
道に咲く小さな花も、あなたがその時に見るべくして見ている。その理由を教えてくれる→ありがとう
全てのことには原因があります。
その一つ一つの原因を、真摯に、素直に、受け取りましょう。
そうすれば、「分からない」と思っていたあなたも、成功者同様に、この世の真実を理解し行動することができるでしょう。
そこには、何の恐れも苦しみも無いのですから。

コメント